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掲載日:2012年3月30日
緑釉獅子香炉(りょくゆうしこうろ):高さ13センチメートル、径10.5センチメートル、二代目亀治(かめじ)作
盃洗(はいせん):高さ12.7センチメートル、 径13.5センチメートル、三代目與右衛門(よえもん)作
初代吉向治兵衛(きっこうじへえ)は、通称亀次(かめじ)。大洲藩(双海町上灘)の出身である。京都で陶法を学び、19世紀の初めに大坂十三で開窯(かいよう)したとされる。治兵衛の作品は、当初、亀次の名にちなんで亀甲焼と称したが、大坂寺社奉行水野忠邦(みずのただくに)に認められ、吉向号を拝領して吉向焼と称するようになったといわれる。また、大洲藩・須坂藩(長野県)などの各藩に招かれ、お庭焼を焼いた。
治兵衛の作品は、楽焼などを主とするが、染付・色絵など作域は多岐にわたっている。色釉は、緑釉・黄釉・紫釉などを用いている。陶技や意匠に優れており、近世屈指の名工である。
これらの吉向焼は、初代治兵衛の技法を継承した二代目亀治と三代目與右衛門の作品である。二代目の父 帯屋武兵衛(おびやぶへえ)の墓碑と過去帳が上灘の本覚寺(ほんがくじ)に残されていること、また、三代目の母サキの出跡である家に伝承と共に残される点など、この二点は吉向焼と伊予市との関わりを実証する意味において重要な工芸品である。
住所 |
双海町上灘 |
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【市指定文化財】吉向焼<工芸品>