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掲載日:2012年3月30日
●安堵状(あんどじょう):
弘安8年(1285年)11月12日、左馬助(さまのすけ)が山本入道(やまもとにゅうどう)と薬師寺左衛門尉(やくしじさえもんのじょう)に稱名寺(しょうみょうじ)の寺僧や田畑に煩い事のないように依頼した文書。
●稱名寺に関する置文:
弘安10年(1287年)1月11日、守護が現在から将来にわたって守るべき掟を決めたことが記されている。具体的で厳重な掟であることから、その頃に稱名寺が隆盛を極めていたことがよくうかがえる。これらの文書は公文(くもん)の職名が記されており、当時稱名寺があった吾川の地は名目上、京都の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)の荘園として伝領されていたようである。
●伊豫岡八幡宮(いよおかはちまんぐう)の諸規定:鎌倉時代の規定。
●勤修式目(ごんしゅうしきもく):永仁5年(1297年)のもの
いずれも重要な古文書である。
住所 |
上吾川十合 稱名寺 |
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【市指定文化財】稱名寺文書<古文書>