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掲載日:2023年7月7日
豊臣秀頼(とよとみひでより)の子・国松丸(くにまつまる)の霊を祀(まつ)った碑の建っているところである。
国松丸は、大坂城落城後、京都の六条河原で殺されたといわれるが、当地の伝説では、ひそかにこの地にのがれて明音寺(みょうおんじ)を開き苦厭上人(くえんしょうにん)と呼ばれたという。
ところが、『浄土本朝高僧伝(じょうどほんちょうこうそうでん)』によると、苦厭上人は国松丸ではなくて、その弟で、江戸にかくれ、寺に入って学問にはげみ、諸国を旅して修行するとともに、仏教を広めたといわれる。
明音寺は、後に郡中・灘町に移されて栄養寺(えいようじ)となった。
住所 |
中村 |
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【市指定文化財】苦厭上人開基の地<史跡>