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掲載日:2024年5月14日
伊予市唐川地区の名産品である「唐川びわ」が、どのようにして唐川地区の名産品となっていったのか、唐川びわの歴史とそれに関連する地域行事を紹介しています。
令和6年の「唐川びわウィーク」(主催:上唐川広報区、下唐川広報区)は、開催期間を限定せず生産農家による直売のみ行うこととなりました。
販売時期は5月下旬から6月下旬ごろが目安ですが、生産農家によって販売時期は異なりますので、別添ファイルの各生産農家に直接ご確認ください。
唐川地区の山あい一面に広がる大玉で肉厚な果肉が特徴の「唐川びわ」は、今では県内外に知られる伊予市の名産品となっています。そんな唐川びわの歴史は、なんと今から約200年前にまでさかのぼります。
今から約200年前(1830年頃)、上唐川本谷の中村清蔵がびわを栽培し初めて町に売り出し評判になったのが最初とされています。同じころ、大洲藩主加藤泰幹は、吉沢藤蔵にびわの苗木を数本与え、地方特産物として殖産するように勧めたとされています。その後、明治28年(1895年)頃、より良いびわを求めて唐川本谷の影浦定次郎が和歌山県を視察していたときに、びわの接ぎ木による改良方法を知ったことで、唐川地区内でもより味の良いものより粒の大きいものを求めてびわの改良が行われるようになりました。品種改良されたびわは改良した人や導入した人の名前から「兼さんびわ」や「長さんびわ」と呼ばれるようになっていきました。しかし、明治36年(1903年)に出張販売で広島県を訪れていた下唐川長崎谷の吉沢兼太郎は、広島市場で淡路から出荷された「田中びわ」が唐川から出荷されたびわよりも大変人気を博し、高値で取引されているのを知りました。そこで、吉沢兼太郎は淡路島の視察を行い、「田中びわ」の苗木を唐川地区へ導入するとともに、長崎県茂木村も視察で訪れ、そこで栽培されていた「茂木びわ」の苗木も唐川地区へ導入しました。吉沢兼太郎が導入した苗木の中でも、特に「田中びわ」の果肉の大きさは評判となり、「田中びわ」を中心として県外から苗木の導入をしたり、在来種に高接改良をおこなったりして唐川地区全体へ広まっていきました。(南山崎果樹園芸誌より)
そうして品種改良を重ねて品質向上を目指した結果、「唐川びわ」は大玉で肉厚になっていき、その名声が県内外へと広まったとされています。
その後、「唐川びわ」は平成28年(2016年)に「ますます、いよし。ブランド」として認定され、伊予市のブランド認定品になりました。
このような歴史のある唐川びわの生産者と消費者をつなげ、唐川地区を訪れる人に伝統や文化を知ってもらい、他地域の人との交流や地元住民同士の相互連帯を深め、地域を活性化させるための活動として、上唐川広報区と下唐川広報区が主催で「唐川びわまつり」を開催してきました。
しかし、近年、びわの生産者や生産量が減少してきていることから、従来の唐川びわまつりと同じ形での開催が難しくなってきていました。そこで、令和元年(2019年)からは、より多くの生産者と消費者が交流ができるように期間限定で唐川地区全体が唐川びわの産直市となったり、地域コミュニティの場を提供したりする「唐川びわウィーク」を実施しています。
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