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谷上山

谷上山

谷上山は皿ヶ峰連峰県立自然公園の一部をなしています。公園としては皿ヶ峰を中心として東西約16kmにわたる連峰と山麓の一部を含む地域で、皿ヶ峰連峰の山岳、森林景観と、渓谷美、人造湖、瀑布、岸壁等において特にすぐれており、谷上山はその西端に当たります。

昭和42年(1967)に県立公園に指定され、昭和61年(1986)大谷池と併せて四国の自然100選に選ばれました。

春の桜、新緑の初夏、秋の紅葉、鴨の飛来する冬と、全山が四季おのおのの趣で見る人を楽しませてくれます。

周辺の見どころ

宝珠寺本堂

宝珠寺本堂

山門を下って約200m進み、水子地蔵尊の前をすぎ、古い石段を登りつめると、宝珠寺本堂に着きます。寺の名は谷上山慈悲院宝珠寺といい、真言宗智山派京都智積院の末寺で、本尊は千手観音です。寺は天武天皇2年(674)、当時の国司であった越智有興が創建したと伝えられ、今までに前後4回の大造営をしています。

境内には本堂をはじめ、薬師堂・絵馬堂・護摩堂・大師堂・通夜堂・庫裏・鐘楼・一の門・二の門・仁王門が建ち並んでいます。本堂の建物は特に精巧を極め、唐破風つき縋破風様式の入母屋造、下三谷の川中夏吉が建築したもので、市指定文化財になっています。

千手観音像

千手観音像

宝珠寺の本尊は千手観音で、千のなさけの心を千の中の眼で表すのが千手観音です。千本の手は、最も強い力を持った観音の性格を表しています。宝珠寺のものは手が20あって、それぞれの手には玉や器などいろいろなものを持っています。高さは1.7mの立像で、やや面長の端麗な顔は誠に美しく、全体の体つきと着衣のようすなど流麗で力強い感じがあり、古い形式をとった藤原時代(784~1191年)のすぐれた仏像彫刻です。

昭和39年(1964)に市指定文化財となった秘仏なので、開帳時以外は拝観できません。

正岡子規句碑

正岡子規句碑

宝珠寺第一山門前広場に俳人正岡子規の句碑があります。夏川を 二つ渡りて 田神山 (子規) 

昭和50年(1975)に元伊予市長玉本善三郎夫妻によって建立されたもので、この句の前書きには「昔明治23年(1890)の夏、子規が松山に帰省しているとき、田舎の友を尋ねた際のけしきを思い出し」とあります。友人とは永田村(現在の松前町)の武市庫太のことで、夏川は石手川と重信川と言われていますが、天山近くの内川と吉木川であるとも言われています。

福田寺

福田寺

谷上山道の登り口、左手山麓に興徳山福田寺があります。境内に足を踏み入れると、四季おりおりの深い情趣が漂っています。

臨済宗妙心寺派の末寺であり、本尊は釈迦牟尼仏と、観世音菩薩です。この寺は寛文7年(1667)法雲律師が、それまで上吾川市の坪にあったのを、この地に移し、大洲如法寺の開祖、盤珪禪師を迎えて、福田寺開祖としました。その後、天明5年(1785)に第8世梅岫和尚が再建したものが、現在の本堂、庫裡、山門です。境内には宝篋印塔があり、山門前には聖徳太子を祭る太子堂や、茅ぶきの通玄庵があります。

本堂前の石庭は、京都龍安寺の石庭を模したもので、大小15石が庭のどの方向から眺めても、14石にしか見えないように造られています。

第二展望台

第二展望台

福田寺から約200m登りきると道が二つに分かれます。左の急な坂を登りきり、ややゆるやかになって約100m進んだところで分岐した左の急坂を登ると駐車場があり、そのすぐ上に第二展望台があります。

眺望はすばらしく、東南には雄大な皿ヶ峰連峰の山々が左右に開け、北方には松山市を擁する道後平野とそこを貫流する重信川が展開し、西は伊予灘が広がり、遠くは中国地方の島々が一望の中に収められています。また、春は桜の名所としても知られ、多くの人で賑わいます。

案内マップ

案内マップ