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伊豫岡八幡神社

伊豫岡八幡神社

清和天皇の貞観元年(859)、宇佐八幡宮の神を山城の国(京都)に迎える途中、伊予岡の辺りが明るくなったのが沖から見られました。これは、神のお告げがあるとして、神の分身を祀るため社殿を建てたのが始まりと言われています。主な建物は嘉永2年(1849)に建てられた楼門、元禄7年(1694)の拝殿、古建築様式の本殿ほか上川神社、五穀神社を合祀しています。 

祭神は仲哀天皇、応神天皇、神功皇后で大洲藩主加藤家の祈願所として敬われていました。

周辺の見どころ

日露戦争絵馬

日露戦争絵馬

八幡神社の拝(中)殿には日露戦争の絵馬があります。絵馬は明治39年(1906)5月、戦争から無事帰還した氏子23名によって奉納されました。図面には赤十字の腕章を付けた日本の救護兵たちが、ロシアの負傷兵を看護する様子を描いています。

日本画の技法、空間は板地を生かしており、右下に「平安其峰」の署名の裏面には、寄付者名や作者名が墨書きされています。この絵馬は日露交流の「歴史ドラマ」を表しており、宇和町の県歴史文化博物館には複製品(レプリカ)が掲げられています。

古墳群

古墳群

伊予岡古墳は、八幡神社社殿のまわりに散在する古墳群で、その広大さにおいては県下でも数少ない典型的な古墳です。総面積は約170aに及び、1400年~1500年前の古墳時代(6世紀~7世紀初頭)に作られたと考えられます。 

由来は、古代この地方の豪族(伊予津彦)たちの墓であろうと推測されています。八基は円墳で、二基は前方後円墳とみられます。群集古墳として、県指定文化財に指定されています。

神銘石

神銘石

旧松山藩の学者で正岡子規の書道の師武知五友は、明治の中頃郡中灘町で塾を開いていました。この五友の書を刻んだ神銘石が伊予岡八幡神社の末社上川神社の境内にあります。それには、「山静似太古…山静かにして太古に似たり」、「日長如小年…日長くして小年の如し」と書かれ、男性的でやさしさのある筆使いをしています。

称名寺

称名寺

この寺は臨江山遍照院称名寺といい、現在は真言宗智山派智積院の末寺です。本尊は阿弥陀如来で春日基光の作と伝えられています。寺は1150年余り前の平安時代の初め、仁明天皇の嘉祥3年(850年)に宗貞によって開基され、その位置は上吾川松本の鷹爪にあったと伝えられています。 

寺では毎年5月の上旬に花まつりが営まれ、同時に新聖霊の慰霊祭が行われています。寺の裏山には「称名寺88か所霊場めぐり」があります。 また、称名寺文書は市指定文化財になっています。

鎌倉神社

鎌倉神社

上吾川称名寺の近くの高い岡の上に鎌倉さんと呼ばれる小さな神社があります。社殿の裏手に1.5m程の石碑に「蒲冠者範頼公墓」と彫った墓石があります。ここは江戸時代に鎌倉神社として源範頼を祀るようになりました。近くの池のほとりには臣下の墓と言われる10数基の小さな五輪の墓があります。 

伝説によれば範頼は、伊予の河野氏を頼って当地に逃れたと言われています。なお、明治の中頃、正岡子規や夏目漱石がこの地を訪れて俳句や詩を作っています。

案内マップ

案内マップ